こんな記事を見た。
シニア向け遺言アプリ「100年ノート」登場、遺言をクラウドで保管・開示 : アプリ : Mobile&Apps:モバイル&アップス日本版
あれ?なんだか見たことあるこの感じ。なんだろう。既視感ってやつ。デジャヴ?デジャヴュ?だっけ?デ・ジャヴ?デジャ・ヴ?なんかデジャヴがゲシュタルト崩壊。
【ネットろんだん】ネット「終活」 死後のデータ削除サービス、歓迎と要望と(1/3ページ) - 産経ニュース
ああ、これか。ってこれ真逆じゃないか!突然死ぬことになっても遺したいのが遺言。遺したくないのがゲフンゲフン。ああ、確かにどっちも必要だ。
でも遺言をクラウドに残すって遺言としての効力は本当にあるんだろうか?法的には。データを改ざんすればいいんだなという考えは自分でも出てくるぞ。あまり手抜かりしないできちんと託すべきところに託した方がいいのではないか。。
それより自分が本当に遺したいものはなにかということかもしれない。削除してほしいデータは誰にでもあると思うんだけど、
「自分が死んだ後のことなんて、そんなに気になるもんかな?」「死んじゃったら、見られて恥ずかしいもなにもないと思うんだが」と、達観派の声もあった。
死んだら恥なんて意識ないものね。でも死ぬ間際に「あっ俺消したいデータあったよ…」ってなるのは避けたいし。昔の人はでっかい墓作ったり、死んだ後の自分にも名誉を求めたし。死んだあとはともかく生きている内は「死んだあともこうありてえ」って欲が湧き続けるんだろうな、こんこんと。
「あの人は私たちの心の中に生き続けてるのよ」
ブログはどうだろう?ブログは遺したいだろうか、消してほしいだろうか。少なくとも生きている内は「死んだあとも恥ずかしくないブログを書きてえ」とは思う。
芸能人のブログとかは亡くなった後もコメントが書き込まれ続けてるってね。本人が亡くなってもブログが生き続けるなんてちょっと気味悪いなと思ったけど、墓標のようなものなのかもしれないな。
どうだろう。いきなり死んでも恥ずかしくないブログになってるかな。