旅に出たい。なぜ人は唐突にそう思うのだろう。
それはただ歴史的な建物や近代的な建物を見に行きたいと思うのではない。
まだ行ったことがない場所や食べたことがない食べ物と出会いに行くというのとも違う。
毎日同じことの繰り返しのルーティーンから外れて自分の足で歩きたいというだけの理由でもない気がする。
毎日同じような内容の仕事をしていようと
毎日全く同じことがないようなし仕事をしてようと関わらず
旅に出たいと思う気持ちは人類みな共通している。
人はできるだけ遠くに行くというミッションを持って生きている。
遠くというのが、どこからなのかは人によるかもしれない。
生まれた場所からという人もいるだろうし、
今いる場所からという人もいるかもしれないし、
家族の元からという人もいるだろうし、
借金からという人も確かにいることだろう。
赤ん坊は生まれてから数か月、自分の意志で移動をすることができない。
赤ん坊が生まれてから一番初めに覚える移動は寝返りだ。
そこからお座りができるようになり、はいはいができるようになる。
一般的に8か月から9か月の頃にはいはいを覚える。
その後たっちができるようになり、あんよができるようになる。
あんよを覚えて母親のもとから離れて遊ぶようになる頃起こるのが「振り返り」という現象だ。
母親から2~3m離れては振り返る。
母親の存在を確かめるとまた前へ進んではふいにまた振り返る。
今自分がどこにいるのか。起点はどこなのかを一つ一つ確認しながら行動をするようになる。
成長するにつれて、三輪車が自転車になり、自転車がオートバイや車になる。
自分の力でどんどん遠くに行けるようになる。
船や飛行機に乗って海の向こうや地球の裏側まで旅に出られるようになる。
それでもまだ飽くことなく、遠くへ、遠くへと旅を続けていく。
長距離ドライバーになりたいと思ったことがある。
長距離ドライバーになれば同じ場所に留まることなく毎日が旅の連続の暮らしのような気がしたからだ。
気ままにパーキングエリアで休憩をしたり
景色のいい場所に車を止めて一息ついたりいかにも自由を満喫できそうな気がしてた。
もちろん現実にはそんな自由で楽しい仕事というわけではなくて
条件的にも体力的にも厳しく常に危険を回避しなければいけない仕事なんだけど。
長距離の運転手は収入もそこそこらしくて、
バスの運転手やタクシーの運転手に憧れるような気持ちを思い出したりした。
赤ん坊じゃなくても長距離ドライバーじゃなくても
遠くに行きたいと思ったら遠くに行くことはできるし、
徒歩でだって四国を一周する人たちもいる。
旅に出たいと思ったときから、旅は始まる。
旅行の計画を練っているときが一番楽しいというのに似ているのかもしれない。
いや、全然違う。
全然違うけど、旅に出たい。